東京都のアスリート・フェンシング

日本人初の世界女王ついに誕生!
これからも応援、支援してくださる方々へ恩返しを

- 江村 美咲

江村 美咲

Photos:EXDREAMSPORTS Inc./Augusto Bizzi

日本人初は自分だったらいいな

2021年からプロ選手として活動するフェンシング女子サーブル日本代表の江村美咲選手(東京都)が、女子サーブルの世界ランキング1位となる快挙を達成しました。

フェンシングにはエペ、フルーレ、サーブルと3種目があり、なかでもサーブルは日本での競技人口が少なく、これまで唯一世界大会の金メダルに届いていない種目でもありました。そのサーブルで2022年5月のワールドカップチュニジア大会に出場し、日本人女子個人として史上初の金メダルを獲得したのが江村選手です。その後、7月の世界選手権でも金メダルを獲得しました。

「2022年の1月にコーチが変わり、一緒に時間を重ねて5月に初めて金メダルを取ったときは、何か自分でも変わったなって感じる試合でした。簡単に言うと、自分の型を外れることができた。それまでは自分の戦い方を変えてはいけないと思い込んでいた。コーチは、ずっと求めていた足りないものをどんどん与えてくれる感じがして、すごくうれしかった」と、シーズンを振り返る江村選手。

そして2023年2月、ワールドカップタシケント大会で、2大会連続銅メダルを獲得後、国際フェンシング連盟の公式サイトが更新され、江村選手が日本人男女を通じてサーブル初のワールドランキング1位となりました。

「最初は素直にうれしかった。まさかランキングの一番上に自分が入る時期がくるとは考えられなかった。うれしいとは思いつつ、戦うにあたっての気持ちは変わりません。それこそまだ勝ち切れていない部分もありますし、トップにしてはまだまだ未熟だと思いますから」と、江村選手は冷静に受け入れています。

以前、江村選手は「まだ誰もやってみたことがないことをするのが好きなんです」と語っていましたが、日本人としてサーブル初の金メダルや世界ランキング1位獲得について「すごく強く狙っていたわけではないですけど、頭のどこかに最初は自分だったらいいなっていうのはありました」

サーブルを始めたきっかけはキャラクターのパズル!?

江村選手はフェンシング選手だった両親の影響で、幼い頃にフェンシングを始めました。最初に取り組んだのはフルーレ。しかし小学校を卒業してすぐ、優勝賞品になっていた好きなキャラクターのパズル目当てでサーブルの大会に出場するといきなり優勝。勝つ喜びを知り、フェンシングにのめり込む中、「世界」を強く意識するようになったのは中学生の頃でした。

江村選手は両親から影響を受けてフェンシングを始めました

▲江村選手は両親から影響を受けてフェンシングを始めました

カデ(U17)の日本代表としてヨーロッパでのサーキットに出場すると、そこでも優勝。国際大会でも実績のあったフルーレだけでなく、日本のサーブルも世界で勝てる。その自信に加え、刺激し合う同世代の選手たちの存在も、江村選手を強くする大きな刺激になりました。

「同じ年の髙嶋(理紗)選手、向江(彩伽)選手に負けたくない、という気持ちが強くて。この大会に出たい、ここで勝ちたい、というよりもまず近くにいるライバルに負けたくない、という気持ちだけで一生懸命やってきて、気づいたらフェンシングに魅了されていました」

離れかけた心を引き戻した母の一言

江村選手の専門であるサーブルは、一瞬の攻防で勝負が決まります。「アレ!(はじめ!)」の合図がかかる時にはすでに、江村選手はどの技を出すか決めています。時間にすれば0コンマ数秒にも満たない短い時間で相手を観察し、とっさに繰り出す技を変えることもあります。「圧倒的なスピードと、瞬時の駆け引きも魅力」だと江村選手は言います。

切磋琢磨し合うライバルの存在と、地道な努力。国内外の大会で結果を残し、順風満帆な選手生活を送ってきたように見えますが、実は世界を意識し始めた中学生の頃、当時の指導者から理不尽に怒られることも多く、「フェンシングをやめたい」と思い、フェンシングから離れかけた時期もありました。引き戻したのは母の一言でした。

「つらいならやめてもいい。でも、(同級生の)理紗や彩伽が将来日本代表として世界で活躍する姿をテレビで見る時、美咲は悔しいと思わないの?」

母の言葉に再び前を向きました。生まれ故郷の大分県から上京し、フィジカル面やフェンシングの技術を磨く。時には朝から晩まで「思い出すだけでも苦しかったし、こんなに練習したのだから絶対に負けたくないと思った」という過酷な練習を経て、2018、2019年は全日本選手権を連覇。名実ともに日本女子サーブルのエースへと成長を遂げたのです。

立川の人々の優しさに触れ「こんなにあったかいところなんだ」

アスリートならば誰もが目標とする国際舞台にも立ち、大会を終えると「自分で認めたくなかったけれど、燃え尽き症候群に陥っていた」と振り返るほど、全てを出し尽くしました。すぐに次の目標へ向かうことは簡単ではありませんでしたが、江村選手に前を向かせてくれたのが拠点とする東京都立川市の人々から寄せられた応援の声でした。

「縁あって、大会前に立川市の小中学校へフェンシングの見どころや私の思いを伝えるメッセージ動画を送らせていただきました。コロナ禍で直接お会いできないのが残念だったのですが、手紙やSNSを通して『とても分かりやすかった』『サーブルを一番楽しみに応援します』とメッセージが届いて、本当にうれしかったんです。私は出身が大分で、東京の人たちはクールなイメージがありましたが、私の名前を覚えて、検索してメッセージを送ってくださった立川の方々の優しさに触れて、立川ってこんなにあったかいところなんだ、と感動しました」

サーブルの見どころはスピードとフットワーク Photos:EXDREAMSPORTS Inc. /Augusto Bizzi

▲サーブルの見どころはスピードとフットワーク Photos:EXDREAMSPORTS Inc. /Augusto Bizzi

江村選手は、2022年も明治安田の「地元アスリート応援プログラム」に参加し、地元をはじめ、多くの方から応援、支援していただきました。そんな方々のために恩返しをしたいという気持ちはいまも変わりません。

「応援してくださっている方にどれくらい恩返しができているのかはわからないけど、確実に2年前、1年前より喜んでもらえる機会は増えています。それがまたモチベーションになります。これからも、いま以上に胸を張って報告できるよう、結果として、姿勢として、この選手を応援してよかったと思ってもらえるようなプレーをお届けしたい」と、意気込みを語る江村選手。

数々の偉業を達成したことで、ミス日本から賞をもらい、スポーツバラエティー番組で取材を受け、ドラマにも出演した江村選手。「フェンシングは、日本ではあまり注目されるスポーツではありませんが、1位になったことでいろんな経験をさせてもらっています。より多くの人にフェンシングを知っていただけたらうれしいです」と、競技ではない露出に戸惑いながらも、注目を集めるトップアスリートへの道を歩んでいます。

(取材・制作:4years.)

支援アスリート一覧へ戻る

関連するコンテンツ

©スタジオ地図 ©J.LEAGUE

ひとに健康を、まちに元気を。

明治安田は、
地域のみなさまの心身の健康づくりや、
人々があたたかくつながる
豊かな地域づくりに貢献していきます。