埼玉県のアスリート・車いすテニス

ついにグランドスラム参戦!
世界の頂点に立ちパラスポーツの面白さを伝えたい

- 田中 愛美

田中 愛美

世界の頂点をめざして!2022年9月からグランドスラムに参加

車いすテニスの日本代表である、埼玉県出身の田中愛美選手は現在、世界を舞台に戦っています。2022年9月のUSオープンからついに、グランドスラムに参加することになりました。「昨シーズンは自分にとって大きく飛躍できた1年だと思っています。世界トップ10の選手とも戦えるようになりましたし、どんどん世界に挑戦してトップを狙いたいです」と、充実した2022年シーズンを語ってくれました。

そんな世界的アスリートですが、小学生の頃はスポーツとは縁遠かったそうです。「図書室でずっと本を読んでいるか、コンピューター室で毎年出場するタイピングの大会のためにキーボードをたたいて練習をしているか、のどちらかでしたね。体育もあまり好きではありませんでした」と笑います。

そのインドア派が、方針転換しました。「中学校入学前、制服の採寸の時に『あら、キューピーちゃん体形ね』って言われたんです。『これからは運動しないと太っていく一方だ』と思って」。そこからスポーツに目を向け、“格好から入る”形となりましたが、テニスにひかれていきました。成績は「(東京)都大会にたどり着けないくらい」ながら、中高一貫校で内部進学してからもテニスをつづけていました。

先生からの一言で、再びプレーヤーとしてコートに立つことを決意

ところが、その日常が一変します。雪が降っていた高校1年生の冬、自宅マンションの階段で足を滑らせて転落。すぐに搬送されて手術を受けましたが、腰骨を折るとともに神経が傷ついてしまい、下肢にはまひが残りました。

リハビリ用に転院した病院を含めて4ヵ月に及んだ入院ですが、田中選手は途中でリハビリを切り上げて入院生活を終えることを決断します。「出席日数不足で留年になることなく、友達と一緒に高校を卒業したいと思ったんです。それに、部活も今いる仲間と引退まで活動したいという気持ちが強くありました」。車いすでの生活になっていましたが、テニス部の顧問の先生に、雑用でもいいから部活動をさせてほしいと頼んだそうです。

その申し出は断られました。「先生が、戻ってくるならプレーヤーとして戻ってきなさいと言ってくださったんです。その時、車いすでテニスを始めようと決意しました」。ここがスタート地点になりました。

先生の言葉で田中選手(左)は決意し、プレーヤーとしてテニス部に帰ってきました

▲先生の言葉で田中選手(左)は決意し、プレーヤーとしてテニス部に帰ってきました

部活動では仲間と一緒に練習をして、帰宅途中には入院していた埼玉県所沢市のリハビリテーションセンターの体育館に寄り、母親に付き添ってもらって車いすのトレーニングに励みました。車いすテニスでは、フットワークの代わりに腕力が必要となるからです。

「動くという部分では一番ギャップがあって、慣れるまで時間がかかりました」と言いますが、最後には試合出場も成し遂げました。近隣の私立高校による大会で、団体戦にエントリー。「ボコボコにやられました」という結果でしたが、ひとりの選手として引退試合を終えることができました。

所沢ではパラスポーツが日常の風景。たくさんの応援が力に

卒業後についても、心は決まっていました。競技をはじめてほどなく開催が決まった、日本でのパラスポーツ世界最高峰の大会への出場です。企業にアスリート雇用してもらい、1年目は国内で実績を積み、2年目から海外の大会に参戦。3年目にはアジア大会代表となり、目標だった世界大会にも出場しました。「すごく恵まれていたと思うし、周りからは順調にきているように見えていると思います」と話しますが、田中選手はまだまだ満足していません。

入院を機に家族で埼玉県所沢市に移り住んで、10年近くが経とうとしています。出生地の熊本県、幼少期に引っ越した東京都を経て、田中選手の人生で所沢が一番長く住む街になろうとしています。田中選手もお世話になっているリハビリセンターがあることもあり、所沢ではパラスポーツは日常の風景だそうです。

「競技を始めた時の練習拠点探しから、地元の人たちにいろいろな情報をいただいたり、一緒に探していただいたり、助けていただきました。定年退職されたテニス愛好家の方が、毎週一緒に練習してくださるとか。ずっと応援してもらって、ここまで来たと感じています」

だからこそ、2021年の世界最高峰の大会では力がこもりました。

「高校に復学した時など、今まで応援してくれた方たちに、大舞台でテニスをしている姿を見せたいという気持ちが強くありました。所沢の方たちはインターネットで観戦してくれて、1回戦に勝つとSNSにたくさんのお祝いのメッセージをもらいました」

キャリアハイを世界7位と更新! 強心臓ぶりでトップをめざす

今年春のランキングでは自身最高成績の世界7位を更新した田中選手。世界のトップランカーたちと対峙することは、やはり緊張するのかと思いきや意外な答えが返ってきました。「大きい大会、強い相手と戦っているときほど冷静になっている自分がいるんです。この感覚をどんな試合でも継続できるようになることが今の課題ですね」という強心臓ぶり。

世界のトップをめざす上で大切なのが、上位の選手相手になんとしても勝利すること。「これからはトップシードの選手を倒さないと自分のランキングが上がりません。だからこそ、大会期間中に1~2回は確実に上位選手に勝てるよう、相手にのまれず、リスペクトしすぎずに自分のプレーに徹していきたいです」と力強く話してくれました。

また、ここ数年意識しているのが、けがの予防。肩の不調を機に、トレーニングにキャッチボールを取り入れるようになりました。「サーブの動きとボールを投げる動きはつながる部分があるんです。毎日キャッチボールをするようになってから、腕の回旋や力の抜き方などがわかるようになり、肩が楽になりましたね」

「自分の活躍で誰かを勇気づけたい」世界ランキング上位をキープして、4年に1度の大舞台へ!

地元の人たちの優しさやありがたみを知るからこそ、岩野耕作コーチから明治安田の「地元アスリート応援プログラム」を紹介してもらった時は、自分にぴったりなプログラムだと感じました。「グランドスラムと呼ばれる4大大会に出場したりして、地元で応援してくれる人や、パラスポーツは楽しそうだなと思ってもらい、頑張っているのが勇気になると言ってくれる人が増えたらうれしいので、私に合ったプロジェクトだと思います」。自分が結果を出すことで、日頃の感謝の思いを伝えていきたいと考えています。

もともと応援される才能があるのかもしれません。「車いすを使うようになって、『ごめん、やってもらっていい?』と素直にお願いできるようになりました。同世代の車いすを使う女の子には、『さらっと頼むのがうまいよね』と言われました」と笑います。

自己ベストの世界ランキング7位にランクインした田中選手

▲自己ベストの世界ランキング7位にランクインした田中選手

思い起こせば、復学後に遅れを取り戻そうとした高校時代もそうでした。「もともと友達に勉強を教えてもらうタイプだったので、いつもと変わらない状態でした。楽しいと言ったら語弊があるかもしれませんが、全然、苦ではありませんでした」

そんな姿が、車いすテニスに取り組む決断をさせる恩師の一言を引き出したのかもしれません。「周囲は気にしないけれど、でも気にかけてくれて。それをバランス良く、先生もほかの部員もやってくれていました。私自身、それまでと同じように接していたので、周りも同じように返してくれたのかもしれませんね」とスタート地点を振り返ります。

今シーズンの目標は、グランドスラムに継続して出場すること。そして、4年に1度の夢舞台に近づくことだと話します。

「もちろん、出場する大会ではすべて好成績を残したいと思います。グランドスラムのほか、10月のアジア大会への出場権獲得、世界マスターズへの出場など、2024年に開催される4年に1度の大舞台の出場権をかけた戦いが続きます。なんとしてでも世界ランキング8位以内をキープして、世界と渡り合っていきたいです」

自分やパラスポーツが応援されるように。田中選手の自然体の挑戦が続きます。

(取材・制作:4years.)

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