免疫は目に見えないし、自覚することも難しい。それに仕組みもかなり複雑。「免疫力が上がる!」と称する民間伝承的・都市伝説的な噂はたくさんあるけれど、果たしてどれがホントで、どれがウソなのか。そして免疫を高めるにはどうすればいいのか。先月配信のコラム『知っておきたい免疫のこと』に引き続き、免疫のプロ中のプロである京都大学ウイルス・再生医科学研究所副所長の河本宏教授に教えてもらいました。
1961年生まれ。京都大学医学部卒業。京都大学ウイルス・再生医科学研究所副所長。血液細胞の分化過程を解明する傍ら、iPS細胞技術を用いた治療用再生T細胞の作製研究も進める。免疫学者ロックバンド〈Negative Selection〉リーダー。
体温を上げると免疫も上がるとよく聞きます。しかし、河本先生によると俗説らしいのです。
「免疫細胞は平熱で十分働けますから、体温を上げた方がいいという証拠はありません。体温は脳の視床下部にある体温調節中枢で厳密にコントロールされています。お風呂に入ったり、生姜を食べたりといった外的なアプローチではそうそう上がらない。万一外的な要因で体温が上がったら、熱中症になったりして危険です。そもそも“私は体温が低い”と言う人は、単に測り方が悪いことが多いのです」
風邪などの感染症で体温が上がるのは、感染を察知したT細胞やマクロファージといった免疫細胞からの情報で体温中枢の温度設定を上げ、高熱による不意打ちでウイルスなどの外敵を弱らせるため。
カラダの方は事前の準備がきちんとできているので神経などに無用なダメージを負わず、外敵だけを効率的に弱らせられるのです。
免疫細胞には学習モードとパトロールモードという2つのモードがあります。学習モードは、免疫細胞がリンパ節にとどまって、外敵と接触してその情報を学び、経験値と攻撃力を高めるモード。パトロールモードは、免疫細胞がリンパ節から出て体内を巡り、学習した情報をもとに外敵やそれに感染した細胞などを攻撃するモードです。
学習モードがオンになるのは、自律神経のうちでも、心身を活動的にする交感神経が優位なとき。パトロールモードがオンになるのは、交感神経がオフになり、自律神経のなかでも心身をリラックスさせる副交感神経のスイッチが入ったときなのです。
日中はだいたい交感神経がオンなので学習モードがメイン。寝ている間は副交感神経がオンで、パトロールモードが活性化します。だから質の高い睡眠は大事。日中も学習モード一辺倒ではなく、昼寝をしたり、深い呼吸を心掛けたりしてリラックスしています。副交感神経優位でパトロールモードをオンにする時間を作るのが賢いのです。
体型を磨くには運動が欠かせません。では、運動と免疫にはどんな関係があるのでしょうか。
運動と免疫の関わりは、単純には割り切れません。
健康のために行う通常のトレーニングは、免疫におそらくプラスでもマイナスでもありません。運動はストレス解消になるし、運動習慣がある人は食事や眠りといった生活全般もヘルシーに整えようとするから、結果的に免疫は下がったりしないでしょう。
「ただし激しい運動は一時的に免疫を下げることがわかっています」
マラソンランナーは風邪をひきやすいとされますが、それは免疫の低下と無縁ではないでしょう。
運動は健康には間違いなくプラスですが、アスリートが必ずしも長生きするとは限りません。アスリートレベルのハードなトレーニングはストレスフルだから、免疫を下げる恐れがあります。フルマラソンに年1回出るくらいならたぶん問題ないけれど、年何回も出たり、興に乗ってウルトラマラソンにハマって月何百kmも走ったりする生活は免疫を下げるかもしれません。
筋力や持久力のように免疫も後天的に高められるのでしょうか。
「免疫は安定していることが重要。血圧や心拍数のように多少の波はあっても、極端に上がったり、下がったりしないのが理想です」
後述するようにストレスに長期間晒されると免疫はダウンしますが、ストレス解消に励んでも免疫が上がるわけではありません。万一免疫が上がりすぎたら逆にマイナス。自らの細胞に反応しない自己寛容との微妙なバランスが崩れるからです。例を挙げてみましょう。
がん細胞は、免疫の働きすぎを抑えるT細胞上のPD-1という場所に結びついて、免疫細胞から逃れます。2018年のノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑さんが開発したがん免疫治療は、PD-1を阻害する抗体を投与する方法です。
「するとがんへの攻撃力も高まりますが、免疫が働きすぎて末梢での自己寛容が弱まり、健康な細胞を攻撃しはじめる。治療を受けた患者の約7割で自己免疫反応が表れるという報告もあります」
ストレスは万病のもとですが、免疫にもストレスは天敵。
ストレスの免疫への影響を知るうえで鍵を握るのは、ストレスを受けると腎臓の上にある副腎皮質から分泌されるコルチコステロイドというホルモン。
免疫細胞には、コルチコステロイドをキャッチする受容体があります。コルチコステロイドは免疫細胞が自ら死を選ぶアポトーシスを誘導したり、その増殖にブレーキをかけたりして、免疫をダイレクトに抑えてしまいます。
「こうしたストレスに対する反応は、本来は森で突然熊に出くわすといった緊急時を想定したもの。逃げるか、戦うかという非常時は、それと無縁な作用は免疫を含めてシャットダウンして備えようとするのです」
やっかいなのは、現代人は毎日のように森で熊と出くわすようなショッキングでストレスフルな状況に置かれているという事実。
「1日くらいでは免疫は落ちませんが、ストレスが1週間以上続くと、免疫は低下する場合があります」