土門蘭
京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に、歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』。
ライフフィールドマガジンをご覧のみなさま、こんにちは作家の土門蘭です。『仕事が消えて、瓶が空っぽになったときのこと』は、コロナ禍で味わった「お金にまつわる実体験」です。追体験するように、読んでみてくださいね。
2020年、そう意を決して独立した直後に、仕事がぱったりなくなった。コロナ禍の影響をもろに受けてしまったのだ。
その頃はまだオンラインツールが今ほど普及されていなかった時期で、緊急事態宣言も出されていたため、予定されていた対面での取材案件がすべて延期になった。
当時の私の売上構成は、ほとんどがインタビューや取材を必要とする仕事だったので、ごっそりと売上がなくなってしまいとても焦った。売上を管理するExcelを前に、えらい時期にフリーになってしまったなぁと頭を抱えた。
「前年より売上が大幅に下がった個人事業主には、支援金制度がありますよ」
いろんな方からそう教えてもらったけれど、コロナ禍で開業した私は前年の実績がないため、要件からことごとく外れてしまう。あらゆる支援金制度を見てみたが、私のようなケースに当てはまるものはなかった。
「開業のタイミングが最悪でしたね」
相談した税理士さんには、そう言われた。
笑うしかなくて、あははと笑った。全然笑いごとじゃなかったけれど。
幸い、多くはないけれど貯蓄はしていたので、すぐにお金で困るようなことはなかった。
ただ、精神面ではかなりキツかった。一番不安だったのは、この状況がいつまで続くのだろう、ということだった。
コロナで社会が大きく変化していて、先行きが読めない。すぐに収まるという人もいれば、2,3年は続くだろうという人もいる。そんな中で自分のいる業界がどうなるのか、全くわからない。
あんまり続くようだと、どこかの企業への就職も考えないといけないよな、と思った。共働きとはいえ、二人の子供もこれからお金がかかる時期なのだから。
そんな不安に加えて、周りの同業者が普段通り仕事をしているのを見ると、胸がざわざわした。影響を受けているのは私だけなのではないか、というか、そもそも私はもう必要とされていないのではないか。そんな暗い予想をしては、夜な夜なうじうじした。
だけど、1週間ほど落ち込んでいたら、なんだか知らないがだんだん腹が立ってきた。
落ち込んでいて何になるんだろう?という気になってきたのだ。泣いていたら口座にお金でも振り込まれるとでもいうのだろうか。「この先どうなるのかわからない」なんて言って、周りに振り回されてばかりの自分に腹が立った。自分で仕事を作っていこうと思って独立したのに、なんて体たらく。
最悪のタイミングに起業したのなら、
そう思うと、なんだか元気が湧いてきた。
私は立ち上がってノートを広げる。現状とこれからやるべきことを整理するために。この状況を、なんとか打破しないといけない。
最初に考えたのは、今私を悩ませている「お金」とは何か?ということだった。
まずは「お金」について自分なりに理解しなければ、悩みごとは解決しないと思ったのだ。
そもそも、「お金」自体には価値がない。
100万円の札束が物質としてあっても、何かと交換できなければただの紙切れだ。つまりお金とは、何かと交換する時に価値を発揮する(ちなみに貯蓄という行為が意味を持つのは、「100万円」と「100万円貯蓄しているという安心感・期待感」を交換しているからだと思う)。そう考えると、「お金」の本質は「交換」であることがわかってくる。
それでは今、仕事がなくなりお金が入ってこなくなった私がやるべきこととは何だろうか?
私は、ノートに思いついたことを書き込んでいく。
1、今持っているお金を何かと交換しない
2、今持っているお金と何かの交換を遅らせる
3、自分のできることと誰かのお金を交換する
思いついたのは、この3つだった。
簡単にいえば、「お金を使わない」「お金を使うスピードを落とす」「お金をもらう」ということだ。
こうして見ると当たり前の話なのだが、いちいち整理しないと先に進めないのが私の性質でもある。だけどノートにそうやってまとめることで、モヤモヤが晴れて心が明るくなった。
1と2は単純明快だ。なるべくお金を使わずに、手元にあるものだけで生活すればいい。
私の場合はもともと浪費癖があるので、そう意識するだけでかなり出費が削減された。これまで自分が不要な交換をしたり、食材やものを使い切るまで交換期間を延ばさなかったのは、「交換する」という行為自体に喜びや刺激があったからだろうな。そんな発見をしつつ、外食を控え自炊に励んだり、今あるものを使いまわしたり、固定費をより安くすべく検討したりした。
でも、1と2でできることには限界がある。「お金を使わない」だけでは、もちろんいずれ生活は成り立たなくなる。生きていくためには、自分で生活に必要なものを作り出すか、生活に必要なものと交換するための「お金」そのものを増やさないといけないからだ。
そこで3について、具体的にどうすべきかを考えた。
「自分のできることと誰かのお金を交換する」……つまり、仕事を作る、ということだ。
私にできることといえば「文章を書くこと」。それを求めている人を見つけて、お金と交換してもらえばいい。
となれば、営業をすべきなのだけど、ではどういうふうに営業していこうか……。
そんなふうに考えているとき、私はある文章に出会った。
それは、偶然インターネット上で見かけた、こんなエピソードだった。
大学の教授が教壇の上で、空っぽの瓶を出した。そこに次々と石を入れていく。満杯になると教授は生徒にこう尋ねた。
「瓶はいっぱいになりましたか?」
生徒がうなずくと、教授はさらにそこに砂を入れ始めた。岩の隙間を縫って、砂が瓶を埋めていく。満杯になると、教授は同じ質問をくり返した。
「瓶はいっぱいになりましたか?」
また生徒がうなずくと、教授はさらに水を注ぎ始めた。砂がどんどん水を吸い、瓶の口まで満たしていく。
その瞬間、教授はやっと
「これで、瓶の中はいっぱいになりました」
と言った。そして、こう続けた。
「この瓶は、あなたたちの時間を表しています。そして、石はあなたにとって重要なもの、砂と水は重要度が低いものを表しています。石から入れると砂も水もあとから入れられるけれど、水や砂から入れてしまうと石は入りません。だからどうかみなさん、あなたの瓶にはまずは石から入れてくださいね」
今改めて出典を調べてみたのだけど、ネット上には似たようなエピソードが多くあってどれが引用元かわからなかった。石がゴルフボールになったり、水がコーヒーになったりと、表現を変えつつも広く知られているものらしい。
ただ、当時の私はそれを読んで、「なるほどな」と腑に落ちた感覚があった。
「今、私の瓶は空っぽになったんだ」
もともとあった仕事がほとんどなくなり、私の仕事の「時間」という瓶は空になった。
ぱっと見不運なことのようだけど、逆に言えば、今から改めて「石」を詰めていけるチャンスでもある。そう思うと、空っぽになったこの瞬間が、すごく貴重な機会のように思えた。
私が書きたいものってなんだろう? 読んでほしい文章って、どういうものだろう?
そんなふうに考えていると、2つのアイデアが出てきた。
それはコロナ禍の今だからこそ読んで欲しい、エッセイとインタビューの企画だった。
私はその2つのアイデアを簡単な企画書にして、おもしろがってくれそうな方に送ってみることにした。もしも断られたら、ほかの興味がありそうな方に聞いてみたらいい。営業には苦手意識があったけれど、自分の「石」を見せて伝えるだけでいいのだと思うと、気持ちが楽だった。
結果的に、企画書は2つとも仕事になった。私の「石」は連載となり、2年経った今でも続いている。
それとともに、少しずつほかの仕事も入ってくるようになった。私の「石」を見た人が、「こんなのも書いてみませんか」と依頼をくれる。石が石を呼んで、数ヶ月後には私の瓶はいっぱいになった。そしてそれと引き換えに、お金を受け取れるようになった。「自分のできることと誰かのお金を交換する」を、ちゃんと実現できたのだ。
そうか、自分で仕事をするってこういうことなのか。
日が経つにつれ、なぜ自分が独立したのかわかった気がした。私はただお金が欲しかっただけじゃなく、書きたいものを書きたかったんだ。
そのことに気づかせてくれたのは、瓶の中が空っぽになってしまったあの経験なのだ。
仕事がなくなって、お金が入ってこなくなったとき、すごく落ち込んだけれど、ある意味ではリセットの時期だったのだと思う。瓶からはいろんなものが出ていったけれど、逆に言えば、そこに何かを入れ直すことができる。
「最悪のタイミングに起業したのなら、これから先、良いことばかりにしていけばいい」
あのとき、そう強がって立ち直った自分を褒めてやりたい。空っぽになったからこそ、自分が好きなもの、大切なものを真っ先に入れることができるのだから。
自分にとっての「石」とは何か。その「石」を、誰がお金と交換してくれるのか。
私の仕事は、そこから生まれる。
そんなことを知ることができたあのときの経験は、今の私にとって大きな財産だ。
土門蘭
京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に、歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』。