社会と接点を持つことでスポーツから文化へ 『サッカーを“文化”にするには』 メディアに飛び込んで学んだ俯瞰する視点  ~ 永島昭浩さん ~ 取材_牛島康之(NO-TECH) 撮影_佐藤将希 制作_マガジンハウス

Jリーグがより多くの人に認知され発展していくためには、まだまだ多くの課題があります。サッカーのある日常をこれからも享受していくために、私たちもサッカーがもっと根付いていくよう意識を変えていかなければいけません。今回はJリーグ黎明期のレジェンドながら、メディアでもその姿を見る機会が多い永島昭浩さんが登場。サッカーを“文化”にしていくために尽力する永島さんの活動や、その考えを伺ってきました。

メディアの世界で培った
グローバルな視点が今に活きる

日本人離れした端正な顔立ちとストライカーとしてのゴールへの嗅覚を見せ、黎明期のJリーグで活躍した永島昭浩さん。現在はスポーツキャスターのほかに新聞にてサッカーの評論や、国際的な活動にも携わるなど、もっとサッカーが日本中に根付くようにさまざまな活動を行なっています。今回はサッカーが“文化”として認知されるにはどうしたらいいのか……という課題を、永島さんなりの経験から語っていただきました。ロジカルに語る永島さんの金言をぜひ、ご覧ください!

Profile永島昭浩さん

1964年4月9日生まれ。兵庫県神戸市出身。高校卒業後、松下電器産業サッカー部(現ガンバ大阪)に加入。4年目からポジションを奪い、頭角を現す。Jリーグが開幕した1993年シーズン6月5日の名古屋グランパスエイト戦にて達成したハットトリックはJリーグ日本人選手のハットトリック第1号として記録される。また阪神・淡路大震災が起こった1995年には神戸を勇気づけたいと、当時は下部リーグであったヴィッセル神戸に移籍。「ミスター神戸」としての地位を築いた。引退後の現在は、スポーツキャスターや評論家として活躍中。

Future of Soccer

メディアでは見せない
日本のサッカーにとって重要な役割も担う

「現在はスポーツキャスターや評論家のほかに、国際的な推進活動も務めています。仕事は大きく分けて二つあります。一つは国際舞台での日本の発言力を高めるために意見を出し合ったり、日本のサッカー、そして世界のサッカー界がより良くなるためにどう貢献していくかを話し合っています。もう一つは日本が世界で活躍するためにどうしていけばいいか……などの意見を出し合います。実は活動メンバーのうち、サッカーに携わる人は少なくて、国内外の企業で役員を務めているような方々が不定期に会議を行なっています。会議では、日本のサッカーがどう動いていけばほかのスポーツ界や社会に貢献できるかを、グローバルな視点で意見を集約するために話し合っています」

Future of Soccer

大きな視点から
サッカーを俯瞰してわかったこと

「自分は現役時代から、生涯サッカーにかかわっていこうと決めていました。もちろん指導者の道も視野に入っていましたよ。ただ、引退するときに“指導者になるにはもっと大きな視点から見る目が必要だ”、とアドバイスをもらい、スポーツキャスターなどのメディアの方に進むことに。指導者になるという部分を念頭に置きながら、メディアに出ていろいろな視点を見つけてみようと思ったわけです。いざ、メディアに出てみると、自分が考えていた以上に、“サッカーというものからほかのスポーツ、そしてスポーツから社会へ”という道筋が見えてきました。ピッチだけ、そしてサッカーだけの狭い視点はダメだということを痛感しましたね。大きな国際大会を取材させてもらうなどさまざまな経験をさせてもらったし、現役の外務大臣など政界の方ともお話しさせていただく機会を得ましたので、メディアでお世話になった方には本当に感謝していますね」

AKIHIRO NAGASHIMA

サッカーを“文化”にしていくのが
今後の使命

「個人的には欧州のようにサッカーを一つの“文化”にしていかなければならないと考えています。そもそも形や結果があるから“文化”はできるものじゃないと思っていますし、“文化”は人が積み上げて、世のなかや社会との接点があるからこそ“文化”になると思います。例えば、大きな国際大会で日本がいい結果を残したら“文化”につながるか……というと、そうではないと思いますし、そこをはき違えるべきではないと思います。自分はサッカー選手だから、とかサッカー選手じゃないから関係ない、とかじゃなくてひとりの人間としてサッカーというスポーツにどう寄り添っていけるか、協力していけるかということを、一人ひとりが考えていけば、おのずと“文化”になっていくと思いますよ」

Future of Soccer

地域に根ざすクラブが増えることで
Jリーグも進化する

「現役時代に印象に残っていることは、やはり1993年のJリーグ開幕のときですね。当時のチェアマンであった川淵三郎氏を先頭にサッカーをメジャースポーツにするんだ、Jリーグを成功させるんだ、と皆が一丸となって開幕したあのころは本当に印象的でした。緑の芝でサッカーをすることが少ない時代でしたから、毎回キレイな芝のピッチでプレーできるのは本当に幸せな経験でした。昔はアマチュアの時代でほかで仕事をしながらサッカーをするというのが当たり前でしたが、今では“サッカー選手”がプロの職業として確立されているのは本当に嬉しいですね。今はJリーグのクラブ数も増えて、地域と各クラブのイベントも毎年、たくさん行なわれていて社会との接点が試合以外でも見えるようになりました。文化定着へのキーファクターになる“地域に根ざす”ということが大きく成長しているのは、いいことだと思います」

AKIHIRO NAGASHIMA

サッカーにおける“共通のロジック”は
まだまだ理解不足

「環境だけじゃなくて、もちろんプレー面も開幕当時から比べるとクオリティは上がっています。海外に行く選手も格段に増えましたが、それぞれが特に欧州などで通用しているかというと、まだまだな部分はあると思います。例えば、世界選抜として急遽集められた有名選手は、一緒に練習などしなくても普通にプレーできます。そこにはサッカーにおける共通のロジックが根底にあるから、息が合うのです。それは自分が現役時代に一緒にプレーしたミカエル・ラウドルップ選手から教えられ、学んだこと。日本人選手はそのロジックの部分があいまいだったりするのでそこを共通意識としてクラブでしっかり持っておくようにすれば、Jリーグの選手が世界に行っても中心選手として通用するようになるし、大きな世界大会でも日本がいい成績を残せるようになると思いますね」

Future of Soccer

メディアの力を借りて
サッカーを“文化”へと昇華

「日常会話のなかにサッカーの話題が出てくるか、出てこないかという部分でサッカーが“文化”として根付いているかを量る指針になると思います。例えばレストランに行って“テレビに出ていたあの選手の違う一面が見られて面白かった”とか話されていないのは寂しいですよね。Jリーグが開幕した当時は、サッカーをメジャーにするために必死に練習したし、自分もたくさんのメディアに出て何をしゃべったのかも覚えていないほど、多忙を極めました。メディアがJリーグのことを盛んに取り上げてくれたおかげで、あのようなムーブメントが起きたんです。自分がメディアに出るようになって、メディアの力は本当に大きいんだなと改めて感じます。サッカーが“文化”として根付いていくことは、日本のサッカーの課題ではありますが、今まで以上にメディアの力を借りることも大事なのかなと思います」