Jリーグが誕生してすでに四半世紀。日本で先行していたほかのプロスポーツと一線を画したのは、やはり地域密着の理念でしょう。それぞれの地域に根ざしたスポーツクラブとして誕生し、地域の人々と育んできたスポーツ文化。各チームが興行や経営とあわせて取り組んできた社会貢献はさまざまですが、そのなかでもとりわけ川崎フロンターレの各施策は独創的な視点で注目されてきました。国際宇宙ステーションや南極の昭和基地との生中継イベントから、相撲部屋とのコラボレーションまで枚挙に暇ないアイデアの数々。今回は川崎市の教育委員会と10年にわたって取り組む「フロンターレ算数ドリル」をご紹介します。
チームの歴史として、川崎フロンターレは当時のヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の後を追う形でホームタウンを川崎市に構えます。ヴェルディの移転を目の当たりにした市民から信頼を勝ち得るためにも、サッカーを通じてスポーツと社会を結びつけ、地元の街や地域の人々を幸せにするための使命感は並々ならぬものでした。だからこそ日の目を見た多くの取組みのなかでも際立つ、教育の観点から生まれた「フロンターレ算数ドリル」。その誕生秘話から現在に至るまでを川崎フロンターレの集客プロモーショングループ・若松彗さんに取材させていただきました。
―算数ドリルを制作するに至った経緯について教えてください
「スタッフがイングランドのアーセナルFCへ視察に行った際、所属のスペイン人選手が登場しているスペイン語の教科書の存在を知ったのです。キャラクターとして写真が使われているのではなく、そのなかでちゃんとスペイン語を教えている。教育の観点から地域の子どもたちとそのような形で接点を持ち、勉強を好きになるきっかけを選手が積極的に与えている姿に感銘を受けたのが事のはじまりです。まずは2009年に中原区にある上丸子小学校の6年生を対象に制作し、翌年から川崎市全113の小学校(現在は114校+特別支援学校3校)6年生へと拡大してもう10年が経ちます」
―すばらしい取組みですが、川崎市の全小学校への配布となると予算も大きくなるはずです。どうやってやりくりを?
「そのためには2009年にどのように予算を捻出したのかをお話しすべきかと。というのもドリル制作のきっかけはもう一つあったのです。私たちは2009年のナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)で準優勝しましたが、優勝できなくて悔しかった選手が表彰式でメダルを外してしまう“事件”がありました。報道を受けて世間から反感を買う事態に発展したため、チームとしては賞金の返還を申し出ましたが受理されず、これを社会に還元すべくドリルを制作したという背景があります。幸い2009年の取組みが教育委員会に評価をいただいて、2010年から上巻を川崎フロンターレ、下巻を教育委員会という予算配分で継続させていただいてます」
―社会貢献することでチームに与えている影響はありますか?
「川崎市の子どもたちに早い段階で川崎フロンターレに触れてもらう機会となっていることですね。地域に根ざした運営をするうえで大切なことは、チームを身近に感じてもらうことですし、学校の授業で使われる教材となればその必然性は高まります。別の視点で見ると選手の露出の機会を頂戴しているとも言えます。ゴールを決めたりインタビューに答えている選手がすべてではありませんから、なるべく多くの所属選手を知っていただき、応援していただけるようになることはチームにとってとても大切です」
―ほかにも教育関連の取組みがあれば教えてください
「ドリルに関連したことでいうと年に1回は各小学校に選手が分散する形で訪問させていただいて、実践形式の学習授業を実施しています。それは例えば選手がシュートを打ったスピードを測って、その秒速が分速ならいくらなのか?とか、それが動物に例えたらどんな動物の走る速さなのか?とか、身体を動かしながらドリルの内容と連携しています。あと3年前の2017年からになりますが、川崎市幸区の提案型協働推進事業の一環として防災かるたを制作して4年生の社会科の授業に活用いただいてます。川崎フロンターレは震災以降陸前高田市と交流を続けており、その経験から川崎市で災害が起きる場合を想定して事前にできることを考えた結果生まれました。だからかるたのなかには幸区の避難場所なども盛り込まれているんです」
―教育に限らず地域の方々とのコミュニケーションは活発ですよね
「スタジアムで催すイベントもありますが、実際に街のなかで川崎フロンターレに触れていただくことも大切にしています。お正月から我々は川崎大師で必勝祈願をしたのち、市内の各商店街にごあいさつ回りをさせていただいてますし、継続的にやっている施策としては『おフロんた〜れの日』ですね。川崎市内の銭湯の利用促進キャンペーンで、この日に銭湯を利用いただけると各店舗、先着100名様に川崎浴場組合と川崎フロンターレのコラボタオルをプレゼントしているんです。長年続けているので非常に多くのサポーターが足を運んでくださってますし、川崎浴場組合のみなさまにも喜んでいただいてます」
ーホームタウンとの取組みにゴールを設定してますか?
「アーセナルFCはホームスタジアムに6万人を収容することができるうえ常に満員。年間チケットを取得するのはなんと68年も待たなければいけない人気チームですが、それは英国の方がスポーツ文化が発達している国だからと理由づけるのは短絡的で、彼らが地域に根ざすためのさまざまな努力を長年積み重ねてきているからです。だから彼らよりも歴史が浅い川崎フロンターレが地域とのコミュニケーションにゴールを設定することはありません。まだまだすべきこと、できることがたくさんあります。街と一緒に自分達らしく楽しく生きていくことで、何か見えてくるものがあるかもしれません。それくらいチームと地域の結びつきが強く、市民が幸せになれる取組みを続けていければと思います」