JリーガーからGMへ。日本を悲願のW杯フランス大会初出場に導いた“ジョホールバル”の立役者、岡野雅行さんはいま、ガイナーレ鳥取のGMとして独自のクラブ経営に乗り出しています。“野人”の愛称で親しまれた岡野さんが、地方クラブの可能性を語り尽くします。
J3で奮闘するガイナーレ鳥取は、地域の名産品を売る“野人プロジェクト”によって強化費を生み出す異色のクラブ。岡野さんはその先頭に立って、クラブと地元を盛り上げています。
1972年7月25日生まれ。神奈川県横浜市出身。1994年に浦和レッズに入団し、快足フォワードとして8年間活躍。その後、ヴィッセル神戸、浦和を経て、香港の天水圍飛馬へ。2009年から4年間、ガイナーレ鳥取で活躍した。日本代表では1998年フランス大会を経験するなど25試合2得点。引退後、鳥取のGMに就任した。
「2013年に現役をやめたとき、鳥取に残ってほしいと言われました。クラブがJ3に降格したので、GMとして力を貸してもらいたいと。でも、GMの仕事なんてさっぱりわからない。ぼく、パソコンも触ったことないですから」
ためしに社長の営業について行った岡野さんは、びっくりした。
「一日で5社くらいまわるんです。それも広島から姫路、そこから鳥取、米子をまわり、また広島に行く。マジで? と思うほどの運動量。そんな社長を見て、ぼくもやってみようと思いました。毎日、いろんなところに行くので、ホテルで朝起きたとき、自分が何県にいるかわからないこともありますよ」
現役時代がそうだったように、足と気持ちで稼ぐのが岡野さんの営業スタイル。
「ぼくはメールや資料には頼りません。足を運んで相手に会い、目を見て気持ちを伝えます。そこで興味を持っていただけたら、もう一度足を運ぶ。二度手間ですが、とにかく全力で気持ちを伝える。それだけを繰り返して、いまでは鳥取の社長さんはほぼ全員の顔と名前がわかるようになりました」
気持ちを大切にするのは、営業に限ったことではありません。
「鳥取は、47都道府県のなかでも人口がいちばん少ないところ。ですから負けてぼくがクヨクヨしていたら、みんな元気がなくなってしまう。なので負けたときほど明るく元気にしています。反対に勝ったときは謙虚に。GMだからといって格好つけてもはじまらない。とにかく元気でやっていると、みんなに気にしてもらえるようになるんです」
GMに就任した岡野さんは、強化費を増やそうと前代未聞の計画を立ち上げます。その名は“野人プロジェクト”。それは地元の人との会話からはじまりました。
「カニで有名な境港に営業に行ったら、漁師さんに“お金は出せないけど、カニなら山ほどあるよ”と言われて、“これだ!“と。当時、流行りはじめていた“ふるさと納税”にヒントを得て、クラブでカニを全国に売り出しました。その売り上げが強化費になると謳って。ものすごい反響があって、2600万円以上の強化費が集まりました」
岡野さんは、この資金でJ1経験豊富なフェルナンジーニョと契約。この補強が当たります。
「彼は入団直後の6試合で7ゴールと爆発し、ガイナーレを上位に引き上げてくれました。カニを買ったみなさんも、自分がかかわった選手が活躍して大喜び。一時は登録名を“カニ”にしよう、そんな声があがったほどです」
成功例は、フェルナンジーニョだけではありません。2年前には岡野GM自らが獲得に動いたレオナルドが、J3得点王に輝きました。
「ブラジルでレオナルドに会ったとき、彼は“両親を連れて日本に行きたい”と言いました。というのも、治安の悪い地域に暮らしていたからです。そこでぼくが“でもJ3だぞ”と言うと、“ボールがあればどこでもいい”と。そのときに、こいつはやるなと思いました。それで連れてきたら、すぐに得点王になりました。彼はぼくのことを、日本のお父さんと呼んで慕ってくれています」
“野人プロジェクト”はカニや魚だけではなく、鳥取名産のフルーツや肉類も加わり、年々進化しています。そして2017年には、“Shibafull(しばふる)”という名の新たなプロジェクトもはじまりました。
「砂地が多い鳥取は良質な芝が育ち、新国立競技場や甲子園では鳥取の芝が使われています。これをビジネスにして、クラブの運営資金にしようというプロジェクトです」
岡野さんによると、“しばふる”は耕作放棄地の対策にもなっているそうです。
「高齢化が進んでいる鳥取では耕作放棄地が悩みの種となっていて、信じられないほど安く借りられる。それなら芝を栽培しよう、なんならオーガニックにも挑戦しよう、ということになりました。それを地元の幼稚園や学校に使っていただくことで、みなさんに喜んでもらえますし、将来的に販路を広げられればクラブの収入も増えますからね」
“野人プロジェクト”や“しばふる”を通じて、ガイナーレと岡野さんが伝えたいのは、「鳥取にはいいものがあるよ」ということ。それは日本中はもちろん、地元鳥取の人々に向けたメッセージ。
「ぼくは選手時代から、“もったいないなあ”と思っていました。というのも、ここにはいいものがたくさんあるのに、鳥取の人は引っ込み思案で宣伝が下手なんです。そこでぼくたちクラブが、“こんなにいいものがありますよ”と全国にアピールすることで、みんなが地元に誇りを持つようになったら、こんなにすばらしいことはないと思います。よく地域密着と言いますが、地域のみんなと手を携えてクラブを強くするのが理想だと思います。クラブが強くなれば、地域も元気になる。そのために、これからも走り続けます」