Jリーガーからバイオベンチャー起業家へ。浦和レッズのレジェンド、鈴木啓太さんはユニークなセカンドキャリアを歩んでいます。経営者視点から見えてくるJリーグの可能性、そして脳裏に描くクラブ経営の展望を大いに語っていただきました。
鈴木さんが設立したAuB株式会社は、アスリートの腸の研究をするベンチャー企業。その事業内容はとても個性的です。
「ぼくたちがやっていることは、アスリートの便を集めて研究すること。そこから腸内環境を整え、パフォーマンスを最大化させるというのが目的です」
500人を超えるアスリートの便を集めて研究するなかで、個々のアスリートや競技特有の腸内環境があることがわかるといいます。鈴木さんはこうしたデータを活かしてアスリートや多くの人々の健康を支援するとともに、商品を開発。フードテック事業にも乗り出しています。
1981年7月8日生まれ。静岡市清水区出身。2000年の入団から15年に引退するまで、浦和レッズひと筋でプレーしたレジェンド。日本屈指のボランチとしてACL、J1、Jリーグカップ、天皇杯など数々のタイトル獲得に貢献。日本代表でもオシム監督時代、全試合でスタメンに名を連ねた唯一の選手となった。引退直前に腸内細菌解析事業を手がけるAuB株式会社を設立。代表取締役を務める。
鈴木さんと腸内環境。意外な組み合わせに思えますが、その関係は長く深い。というのも幼いころから、調理師の母に腸の大切さを教わってきたからです。
「子どものころから、食卓にはぬか漬けや納豆といった発酵食品がならんでいて、好んで食べていました。現役時代も、ぼくは腸でコンディションを整えていたんですよ。お腹の調子が悪いと、いいプレーができない。ですから、食後に必ず温かいお茶を飲む、遠征に梅干しを持参する、お灸でお腹を温めるといった習慣を続けていました。中東での五輪予選では、みんながお腹をくだすなか、ぼくはお腹を壊さなかった、ということもあります」
サッカー選手から起業家に。その決断を、鈴木さんは次のように振り返ります。
「あのときは、“だれもやっていなくて面白そう!じゃあやるか!”と飛び込みました。ほとんど勢いだけです。いまにしてみれば、ずいぶん大胆なことをしたなあと思いますね」
そんな鈴木さんを待っていたのは、辛抱の日々。
「ぼくたちの事業は、モノをつくって売ればいいわけではありません。研究成果が出なければ、なにも始まらない。ですからいままでの4年間は、ひたすら研究。その間に資金が尽きかけたこともあります。でも、なんとか死の淵を乗り越え(笑)、いまは研究結果を活かして社会のニーズに応えていく段階に入っています」
引退してサッカー界を離れたいまも、サッカーへの愛着は変わらぬまま。そんな鈴木さんには、一つの目標があります。それはサッカークラブの経営。
「サッカー界が発展するには“サッカー×なにか”という考え方が必要で、その“なにか”を見つけなければいけません。そのためにぼくは現役時代から、さまざまな人がクロスオーバーすることが大事だと考えていました。サッカー界にビジネスマンが参入する、同時にサッカー界の人が外の世界に出るといったことです。サッカー界の外に出て経営者となったぼくの経験は、必ずサッカークラブの経営にも活きてくると思います」
鈴木さんの頭のなかには、すでに“サッカー×なにか”の“なにか”が浮かんでいます。
「あるとき、年配の浦和レッズサポーターの方がこんな話をしてくれました。“ぼくは長年、ゴール裏で熱心に応援してきて、死ぬまで飛び跳ねていたい。でも体力的にきついんだ”と。この話を聞いたときに思いました。Jリーグが始まって、もうすぐ30年。こういう年配のサポーターが日本中にたくさんいるなら、ぼくがみなさんのコンディションを整えてあげよう、と」
そう、鈴木さんが考える“なにか”は、健康なのです。
アスリートを通じて、一般の人々を元気にする。そんなイメージを実現する最良の場所があります。それは日本中で活動するJクラブ。
「ぼくはいま、1秒でも早く疲労を回復したい、数百グラムでも体重を落としたい、といったアスリートの課題の解決に取り組んでいますが、それによってみなさんの健康づくりにも貢献できると考えています。そしてこの活動を、アスリートが集うJクラブから発信していく。Jクラブが、地域の健康を支えるわけです。ものすごく面白い試みだと思いますよ」
Jクラブには、高齢化が進む日本を元気にする力がある。それは鈴木さんの揺るぎない思い。
「これからの時代、利便性よりも健康を含めた内面の充実に価値が出てくると思います。長生きをして、自分らしく好きなことをいつまでもやる。人生は、それがいちばんでしょう。そこにぼくたちの事業とJクラブが貢献できればいい。それがサッカー界で恩恵を受けてきた、自分の歩む道だと考えています」