JリーグOBたちが教えるサッカーの魅力 『完全ガイド!Jリーグプロファイル』 日本サッカーのススメ 〜 スポーツジャーナリスト/選手パーソナルコーチ 中西哲生さん 〜 取材_牛島康之(NO-TECH)/ 撮影_関竜太 / 制作_マガジンハウス

日本代表の活躍によって、盛り上がりを見せるサッカーシーン。当然のことながら、Jリーグに注目が集まっています。もちろん世界的な大物選手の獲得もその理由のひとつですが、選手たちが見せる熱き戦いに心を動かされる人も多いはずです。日本サッカーを盛り上げる絶好の機会は“今”なのです。今回もJリーグがさらに盛り上がるような金言を元Jクラブ出身者から授かってきました。

Jリーグとともに歩んだ
自身のサッカーキャリア

Jリーグ開幕の前年に名古屋グランパスエイト(現:名古屋グランパス)へ入団し、プロ第1期生という恵まれた時代を過ごしたと語る中西さん。そのなかでも、海外でも実績のある監督や選手の薫陶を受けたのは貴重な経験だったそうです。現在はその経験を活かし、さまざまなメディアで活動を続けています。そんな中西さんが思うJリーグの今とこれからについて語っていただきました。

Profile 中西哲生さん

1969年生まれ。愛知県名古屋市出身の元サッカー選手。現役時代は名古屋グランパスエイト(現:名古屋グランパス)に入団し、アーセン・ベンゲル監督の指導を受け、ゲーリー・リネカーやドラガン・ストイコビッチとともにプレーした経験を持つ。現在はスポーツジャーナリストとしてテレビやラジオでも活躍。自身の経験をもとにした著書も多数発刊する。

Future of Soccer

25年目を迎え
“変革の時期”が訪れる

今年の7月、4年に一度のサッカーの祭典における日本代表の活躍によって、サッカーを知らない世代も含め再びJリーグが注目を浴びることになりました。しかも、あのバルセロナのアンドレス・イニエスタや元スペイン代表のフェルナンド・トーレスもJリーグに移籍してきて、世界からも注目されている。すごく幸せな状況だと思いますね。よくよく考えると、Jリーグが開幕した当時の状況と似ている気がするんです。創設から四半世紀が経ち、リーグ自体もひとつの曲がり角にさしかかっているのだと思いますよ。

Future of Soccer

Jリーグを経験したからこそ
今の自分がある!

自分がチーム(現:名古屋グランパス)に入団したのが1992年。そしてご存知のように翌年にJリーグが開幕。自分が1年目で、オリジナル10(1992年のJリーグ発足時に加盟した10クラブを指す通称)が始動。自分たちは大学からJリーグに入団した第1期生となるわけです。一気に“プロサッカー選手”という職業に就いた人が増えた時期でもあってすごく運がいいなと思ったし、それと同時に世界から有名な選手がJリーグに入ってきてチームメイトとして一緒にプレーしたり、対戦相手として対峙したりする……。そこから得たものはかけがえのないものばかりだし、今の自分自身を構成するうちの大部分を占めています。

TETSUO NAKANISHI

自分の体験を伝えることで
サッカー界に恩返しをする

自分がJリーガーとして過ごした1992年から引退する2000年、そして自国開催となった2002年のサッカーの祭典までは、まさに日本サッカーが激動の時代。それを当事者として過ごさせてもらったのは本当に幸運でしかないです。自分の中での大きな出来事は、やはりアーセン・ベンゲル監督(イングランドプレミアリーグ、アーセナルの元監督)とストイコビッチ(名古屋グランパス元選手/元監督)との出会いです。だからこそ、Jリーグ創成期で受けた恩恵をどうにかして返していくのが、今の自分の使命です。

Future of Soccer

経験を言語化して
明確に伝えることが大事!

自分にできることは何かを考えたときに、自らが体験したことを言語化し、アウトプットすることこそが大事だと感じました。だからこそ、当時ベンゲル監督が練習や試合中に発した言葉やトレーニングメニューなどをメモして、それを書籍化(「ベンゲル・ノート」幻冬舎刊)もしました。現にティエリ・アンリやロベール・ピレス、パトリック・ヴィエラなどがいたアーセナル黄金期でも、ベンゲル監督は当時名古屋グランパスで行ったのと同じトレーニングをしていました。もちろんストイコビッチの華麗なプレーも実際に同じフィールドの中から見ていて、その一挙手一投足もノートに書き留めていました。そうやって言語化すれば世界レベルのトレーニングを取り入れることもできるんだと確信したんです。

TETSUO NAKANISHI

有名選手にも指導する
パーソナルコーチも兼務

現在は本場ヨーロッパでもスタンダードになっているトレーニング方法や、世界レベルの選手の動きをデータ化し、分析することで一番効率的な動きやフォームを現役選手に伝えるパーソナルコーチという仕事もやらせて頂いています。長友佑都選手から始まって、日本を背負っていくであろう久保建英選手、それにレアル・マドリードの下部組織に所属している中井卓大選手も。本当はライセンスを取得してチームに還元していくのがベストなのですが、今の自分はメディアを使って自分の考えを伝える仕事も大事だと思うので、それをうまく両立しながらやっていきたいです。

Future of Soccer

25年で大きな進歩を
遂げたJリーグ
今後の歩みも
実りのあるものに

イニエスタやフェルナンド・トーレスが日本に来たことで、かつての自分と同じように彼らから何かを感じ取り、ただ“スゴイ!”と思うだけじゃなく、それを言語化することで日本のサッカーを前に進めてくれる人が出てきそうな気がします。そういった意味でも最初に“ひとつの曲がり角”という表現をしました。Jリーグは“Jリーグ百年構想”という理念を掲げています。当時は100年って……と思う人も多かったけど、25年が経ちJリーグ開幕時にはまだサッカーの祭典に出場もしたことのなかった国が、今はあと少しでベスト8というところまで近づいたんです。これはすごく大きな進歩だと思います。今後もその歩みを止めることなくJリーグを繋いでいって、そして日本サッカーに少しでも恩返しができるように動いていきます。

TETSUO NAKANISHI