ライフステージの変化にあわせた『“つねにいまがピーク”という生き方』正解も不正解もない、私たちの選択 ~タレント・キャスター ホラン千秋さん~ 取材_岸良ゆか 撮影_赤澤昂宥 ヘアメイク_KUBOKI スタイリスト_町野泉美 制作_マガジンハウス

TBSの報道番組『Nスタ』のキャスターとして、連日お茶の間にニュースを届けるホラン千秋さん。今でこそだれもが知る“夕方の顔”ですが、じつは不遇の時代が長かったことはあまり知られていません。それでも「常に今が人生のピークだと思って生きている」と語るホランさん。自らの変化、そして周囲の変化を肯定的に捉えて楽しんできた彼女のライフストーリーには、先行き不透明な時代を生きるためのヒントがちりばめられていました。

芸能界でのキャリアは20年以上

2012年、ニュース番組『NEWS ZERO』のキャスターに抜擢。当時、まさに“彗星のごとく”テレビの世界に現れたように見えたホランさんですが、芸能界での仕事の原点は保育園時代にまで遡るのだそう。

「母が、同じくダブルのお子さんを持つ友人に誘われて、記念のつもりで『やってみる?』くらいの軽い気持ちでキッズモデルをはじめたのがきっかけでした。やってみたらモデルの仕事はすごく楽しくて。可愛いお洋服を着て、素敵な写真を撮ってもらえて、いろんなところに行ける。母がたまに連れて行ってくれる“オシゴト”は、なんて楽しい世界なんだ!と衝撃を受けた記憶があります。ただ私自身はかなりの人見知り。オーディションで『部屋の端から端まで歩いてみて』と言われても恥ずかしくて歩けないような子どもだったので受かるはずもなく(笑)。小学校を卒業するくらいまでは、運良く決まった仕事ができる、という感じでした。それでも、幼いながらに感じた“この世界で生きていきたい!”という感覚はブレることはありませんでした」

Profile

ホラン千秋さん

1988年、東京生まれ。アイルランド人の父と日本人の母を持ち、幼少時にキッズモデルの仕事をはじめる。学業の傍ら役者を志すようになり、2005年『魔法戦隊マジレンジャー』でテレビドラマ初出演を果たす。大学卒業後、報道番組や情報番組に立て続けに出演し、全国区のタレントに。2017年からTBS系の報道番組『Nスタ』でキャスターを務めている。

Special Interview HORAN CHIAKI

人前で歌うこと、演じることが好き

その後、本格的に芸能活動を開始すべく、現在の事務所のオーディションを受けたのは中学1年生のとき。そのころ抱いていた夢は「歌手」でした。

「両親が音楽好きで、ギターも弾けて。常に音楽がある環境のなかで育ちました。だから歌うことは大好き!でも人前に立つのは苦手…。そこで、小学生のとき私の引っ込み思案を直そうとした母が、半ば無理やり市民ミュージカルに参加させて(笑)。それまでは、お芝居は特段やりたいと思ったことはなかったんですが、とにかくステージでスポットライトを浴びて歌うのが気持ちよかった。また、稽古を重ねるうちにお芝居の魅力にも気付いていきました。相変わらず学校のクラスのみんなの前で作文を発表するのは苦手だったけれど、ステージのうえで素の自分とは違う自分になって表現する面白さと難しさに魅了されていったんだと思います。当時テレビでSPEEDやモーニング娘。が歌っているのを見て、あんなふうにステージで歌えたらなと思い、今の事務所のオーディションを受けました」

“鳴かず飛ばず”だった役者志望の10年

素の自分とは違う自分になって、人前でなにかを表現するのが好き──そんなホランさんが役者志望になるのは必然だったのかもしれません。事務所に所属した直後から役者をめざすように。そうしてはじまった下積み生活は、その後10年も続くことになります。

「とにかくオーディションに受からない。やっとドラマ出演が決まっても、同じ事務所の先輩俳優さんが出ているからという理由でキャスティングしていただいたり…。それはそれでとてもありがたいことなのですが、私の実力で得た仕事ではないんだというところに、いつも劣等感を抱いていました。そして高校生にもなると、同年代の子たちがどんどん活躍していくなか、鳴かず飛ばずの自分に焦りを感じ、悶々とすることが増えました。芸能界はすごい才能の持ち主揃いで、相手の存在感に圧倒され、呑まれてしまうことも多かったです。私程度の実力では、そんな才能ある人たちを超えることはできないのではないか。大学生になっても状況は変わらず、自分は本当にこのままでいいのかと将来に不安を感じるようになりましたね」

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アメリカ留学が転機に

そんななか、「今のままではいけない!」と一念発起。刺激を求めて1年間のアメリカ留学を決意しました。目的は、もちろんお芝居です。アメリカの大学で演技をはじめ、学問としての演劇を勉強したホランさん。帰国後、彼女に訪れた大きな変化とは?

「演者として、裏方として、さまざまな角度から演劇を学んだことで、表現のかたちは“演じること”だけじゃないと気付きました。そこで演技以外の仕事──タレントやラジオパーソナリティーにも挑戦してみたいと事務所に伝えたところ、同時期に受けた、ラジオ、深夜のミニ経済番組、朝の情報番組の3つのオーディションにすべて受かったんです。役者のオーディションには全く引っかからなかったのに! 単純な私は『こっちなのかも…!』と、新しい方向性に活路を見出すべく全力投球しました(笑)。やはり、人は求められるとうれしいし、認められるためにより頑張れる気がします。でも畑は変われど、タレント業も強い個性やキャラクターが必要とされる世界。なぜこんなにも普通な私がタレントとして求めていただけているのかは、正直いまだによくわかりません。わからないからこそ、求められ続ける人であるために日々全力投球でベストを尽くしてきたつもりですし、それは今も変わりません」

紆余曲折を経てたどり着いた新しい表現

紆余曲折を経てたどり着いた新しい表現

役者の卵から、一躍全国区のタレントへ。客観的に見ると“華麗なる転身”ですが、表現者としての自分はなにも変わっていないとホランさんは言います。

「そもそも役者として芽が出ていないので“転身”と言っていいのかどうか(笑)。でも、わずかながら経験してみると、演劇も報道番組もバラエティーも、突き詰めると本質はそんなに変わらないと思ったんです。それぞれ台本や原稿があり、伝えたい言葉や思いがあって、それを自分というフィルターを通じて表現するプロセス自体は一緒なんですよね。自分が発する言葉や表現に説得力をもたせるための準備だと考えれば、毎日やっているニュースの下調べも、役者の役づくりも同じだと感じました。伝え方や内容が違うだけで、“何かを伝える”ことは変わらない。そして伝わった先で何か感じてもらえたら、という目標は今も昔も一緒なんです」

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ライフプランは常に変化していい

芸能界で生きていく。20年近くかけて夢を叶えたホランさん。今後のライフプランについて訊ねると、「特にプランはないんです」との意外な回答。

「『歌手になりたい』『役者がやりたい』と目標を定めてうまくいかなかったタイプなので、目標を掲げて有言実行している人を見ると尊敬します。でも、みんながみんなそうじゃない。私はどちらかというと導かれて、流れにうまく乗ることができてやっと今の場所にたどり着けたので。遠回りのように見えたことが、結果としてすべて必要な経験になっていたり、本来めざしていた道ではないけれどやってみたら以前より輝いている自分を発見したり。振り返ってみれば、私がしていた選択の一つ一つは“あきらめ”ではなく“変化”でした。もちろん一つの目標に向かって猪突猛進できるのはすごいことだけれど、人の生き方は周囲の環境や人間関係、ライフステージにあわせて変わっていって良いと思うんです。たとえ理想通りの選択ではなくても、人生に正解や不正解はない。人の数だけ生き方があって、そのすべてが素敵だと思います。だから、思い描いていた未来にたどり着けない…、ということがあっても、負けたとか、あきらめたとか、自分にがっかりしないでください。そのときは辛くても、より幸せな未来への方向転換だったんだと思える日が来るはずだと、私は信じています。手を放すのは、あきらめたのではなく、変化するためだと思って欲しい。未来なんて誰にもわからない。私だって今は仕事をしていて幸せだけど、5年後にはなにを幸せと感じているかわかりません。いずれにしても、“常に今が人生のピーク”だと思って毎日を生きています。いつだって目の前にあるのは『今』ですから」

ホラン千秋、32歳時点の幸せ

ホラン千秋、32歳時点の幸せ

そんなホランさんが32歳の今“幸せ”を感じる瞬間は?

「今主にやっているキャスターの仕事は日々更新されていく情報を扱っているので、ドラマや映画のように作品として誰かの心に残ることはないかもしれません。でも世のなかについて改めて考えるヒントや架け橋になることはできると思います。一日のうちの一瞬でも、見てくださった方の日常が少しでも豊かになり、役に立てればうれしいですね。あとは、私のひと言でくすっと笑ってくださったり、胸のつかえがとれたといったフィードバックがブログやインスタにあったりするとうれしいし、幸せだなあと感じます」

「プライベートでは、韓国ドラマを見ているときですね。私は“テキパキしていてクール”みたいなイメージを持たれることが多いですが、テレビに映っていないときの自分は真逆です。自宅で、高校時代から愛用していて、もはや皮膚と化したテロテロのカットソーを着て『愛の不時着』を見ているときがいちばん幸せ(笑)。ソファでだらけて、間違っても人に見せられない私の姿ですが、人生のなかのそんな時間も愛おしいです」