やっぱり知りたい! 『結婚と幸せのカタチ』家族誕生までの秘話百景 ~ 移住結婚編 ~

パートナーがいるかいないか、入籍をしているかしていないか、子どもがいるかいないか……。
人の生き方が多様化している昨今。もちろん選択肢が増えるのはすばらしいことだけど、それでも世の中にはあえて「結婚」する人が多いのも事実。みんな、どうして結婚するの?そもそも結婚生活って楽しいの?ぶっちゃけ、結婚してよかったと思ってる?年齢も環境もさまざまなカップルに本音を聞き、気になる結婚の「リアル」に迫ります。

旅するように暮らす、人生のパートナー

今回お話をうかがったのは、結婚して24年。現在は栃木県の益子に住む高山英樹さん、純子さん夫妻。英樹さんは、古材をつなぎ合わせた有機的なフォルムの家具をつくる木工作家。この日、取材で訪れたご自宅も高山さんの手づくりで、山と田園を借景にしたユニークなプレハブハウスは建築雑誌などでもおなじみです。そんな高山さんがなぜ「結婚」の話を……?じつは、夫妻が東京を離れ、益子で暮らすようになったきっかけのひとつが結婚。話はふたりが出会った頃に遡ります。

Profile

Profile

林 秀さん、瑛未さん

英樹さんは石川県出身。文化服装学院卒業後、都内で舞台衣装や布のオブジェを制作。のちに、北米、中米、アジア、ヨーロッパなどを旅しながら、国内で内装や家具の制作を手がけるようになる。純子さんは東京出身。短大卒業後、ネイリストとして働いたのちに英樹さんと結婚し、2002年、益子へ移住。

出会いは5年前、高校2年生のとき

ふたりが出会ったのは30年近く前のこと。場所は東京・神宮前の雑貨店でした。当時、ファッション業界で働いていた英樹さんは、ステージ衣装をつくったり、デパートのディスプレイを手がけたりしては北米やヨーロッパ、南米、アジアを旅するという生活。そんななか、たまり場になっていた雑貨店に集まる仲間のひとりが純子さんでした。「あるときの旅行で、最初はニューヨークに行って、それからメキシコ、グァテマラと下っていって。そしたらグァテマラでは時間が驚くほどゆっくり流れているんですよ。僕は能登出身なんだけど、幼少時に親しんでいた原風景に近い風景が残っていて。自分は東京で慌ただしく生きるよりも、自分のペースでゆっくりやっていくほうが性に合っている。ちょうど純ちゃんとも出会ったし、そういう場所を探したいと思うようになりました」

授かった命と一緒に生きていく

進化する「プレバブのお城」

田んぼのあぜ道を抜けた先に現れる2階建てが夫妻の住居。15年を費やして快適な空間になった屋内はいまも進化中

海外も視野に、“理想の住処”を探し始めた英樹さん。純子さんと付き合い始めてからは、旅に伴うようになりました。ただし、一方の純子さんは東京生まれ。世田谷の集合住宅で育ち、東京以外の場所に住むなんて考えたこともなかったといいます。なのに、英樹さんについていって大丈夫……?そう質問すると、「そこは信頼してました」ときっぱり。「いい加減に見えるんだけど、絶対に嘘はつかないし、自分で言ったことは必ず実行する人なんです。最終的にはどうにかしてくれるんだろうなというのはあって」。当時、純子さんのお母さんに結婚の意志を問われ、「いまは考えていません」とバカ正直に答えたという英樹さん。純子さんは「内心ショックだった」と苦笑いするけれど、お母さんは「この人は嘘をつかない」と、逆に英樹さんを信用するようになったのだとか。

大学を辞めるのは楽で安易な選択?

英樹さんにとって、純子さんは旅のパートナーであり、生活のパートナー。でも、結婚には積極的でなく、事実婚のようなかたちでいたいと思っていました。その状況を変えてくれたのは、やっぱり純子さんのお母さん。当時、純子さんが住んでいたアパートの取り壊しが決まり、英樹さんと同棲をする旨を報告に行くと、「その先に結婚の可能性はあるの?」と核心をついた質問を投げかけたのです。英樹さんの答えは「結婚を前提にしています」。それを聞いて、自分がいちばん驚いたという純子さん。英樹さんも「そこから結婚までの展開がめちゃくちゃ早かった」と笑います。「純ちゃんの両親が僕の親に会ってみたいというので伝えたら、うちの親が『結納だ!』と盛り上がって。この機会を逃したら、こいつは一生結婚しないと思われてたみたい(笑)」

“理想の住処”を求めて、益子へ

英樹さんの木工作品たち

家の2階にも英樹さんの作品がずらり。「制作に集中するときは集中するけど、なにもやらないときはハンモックで寝てます(笑)」

結婚してしまえば、いよいよ“理想の住処”の選定が急務です。そこで有力な候補として浮上したのが「益子」。古くは陶芸家の濱田庄司が作陶するなど芸術家が移り住んできた歴史があり、いまも英樹さんたちのような「自由人」が各自のペースで暮らす土地。東京からの距離がちょうどよく、純子さんの両親が移り住んだ宇都宮から近いことも好都合でした。とはいえすぐにはピンとくる家に出会えず、そうこうしているうちに息子の源樹くんが誕生。ちょうど知人に声をかけられ、益子にオープン予定の「JAMU LOUNGE」というオーガニックカフェの内装を手がけることになり、宇都宮を拠点に益子へ通う日々が続きました。そんなある日、英樹さんは理想の土地に出会います。目の前に美しい田んぼが広がる、里山の麓。見た瞬間、「ここだ!」と思いました。

  

親子3人、まるでキャンプのような新生活

それは、まさに運命の出会いでした。土地のオーナーとの話がトントン拍子に進んで200坪を購入できることになり、時を同じくして生活に便利な公道が敷かれることに。晴れて自分たちのものになった土地に、英樹さんは自分の手で家を「つくる」ことを決意しました。
自作の設計図をもとに2階建てのプレハブ小屋を建ててもらい、がらんどうのスペースを、家族のための生活空間に変えていきます。ただし、時間をかけて、少しずつ。「最初は床もコンパネで、水道もなくて外からホースで水を引いてた」と英樹さんが言えば、「床は拭いても拭いても泥がつくから、レジャーシートを敷いて。まるでキャンプみたいな生活(笑)」と純子さん。 本当に、心の底から楽しそうに、思い出話を聞かせてくれるのです。

小さな努力を積み重ねた先にあるもの

それから15年。光のあふれる広いリビングには無垢の杉材が貼られ、そこかしこに英樹さんの木工作品が置かれたプレハブの家は、雑誌に載り、訪れた人の感嘆をさそう空間になりました。素敵な家に住む夫婦はほかにもいるかもしれない。 でも、いつまでも結婚生活を楽しめる夫婦はそう多くないはず。なぜそんなに楽しそうなのですかと聞くと、「楽しんで生活することが人生のテーマだから」と英樹さん。「僕は世間的には木工作家だとされているけれど、自分では『生活者』だと思ってる。木工作家がしたいから益子に来たわけじゃなく、この生活がしたいから移住して、純ちゃんはそれを一緒に楽しむパートナー」。自論を展開する英樹さんの隣で、純子さんが楽しそうに相槌を打ちます。「旅してるときって、いろんなものを見て感じていちいち感動するんだけど、住み始めるとそれが薄れてくるじゃないですか。だから、旅行してる感覚で住んだら楽しいよねって。人生は旅であり、夫婦は旅のパートナー。その感覚は結婚当初からずっと変わらないです」